越前そばと、遊女哥川(かせん)を訪ねる旅/そば処の物語/片山虎之介

福井そば

(奥そこのしれぬさむさや海の音)

 

越前そばと、遊女哥川(かせん)を訪ねる旅

写真と文 片山虎之介

 

江戸時代中期、越前の国、三国湊(みくにみなと)に、俳人として遠く江戸にまでその名を知られた遊女がいました。俳号は哥川(かせん)。

哥川は謎に包まれた女性でした。彼女に関する信頼できる資料は、現在ほとんど見当たりません。哥川について書かれた最も詳しい文書は、寛政10年(1798)に著された「続近世畸人伝」ですが、これにしても伝聞として紹介しているに過ぎず、正確な史実とは言いがたいのです。

三国町に住み、哥川のことを30年以上に渡って調べ続けている大森喜代男さんは、次のように語ります。

「哥川は追いかければ遠ざかる、あきらめればすぐ近くに来る、そういう存在です。本当のところはつかめない。しかし、哥川は三国に生き、多くの句を残した。これは疑いようのない事実なのです」

遊女哥川
稲妻やあける妻戸に見うしない。当時の遊女が着ていた豪華な衣装。

 

福井県三国町は今でこそ北陸の小さな港町ですが、江戸時代中期には日本海を往来する北前船の寄港地として繁栄を謳歌していました。

享保10年の記録によると、当時三国湊と、それに隣接する出村の遊郭にいた遊女は、合わせて147人。おそらく哥川も、この数の中に含まれていたのでしょう。

華やかな衣装で着飾ってはいても、遊女は所詮、とらわれの身。外出は厳しく制限され、人間らしい生活など望めません。

廓から抜け出そうと、逃亡を企てた遊女の多くは捕まり、他の者への見せしめとして、残酷なリンチにかけられました。容赦のない拷問にあい、落命する者も少なくなかったのです。

哥川の置かれた状況も、まったく同じでした。苦界で生きる彼女に、天上から差し伸べられた一筋の蜘蛛の糸、それが俳句でした。哥川はそこに魂の拠り所を見出したのです。

天賦の才もありましたが、廓に生きる者ならではの視点が、その句に特異な個性を与えました。やがて哥川の名は、加賀の千代女とともに、江戸の人々に聞こえるまでに大きくなっていくのです。

残された5・7・5の17文字をなぞれば、今でも哥川の心の内が、色鮮やかに見えてきます。遊女という過酷な運命を生きながら、俳句を志すことにより、哥川は遥かな時を隔てた私たちにまで聞こえる、永遠の声を手に入れたのです。

遊女哥川
虫干や恋しきふみのたもとより

 

遊女哥川
めくりあふも星の一夜や車牛

 

資料提供/大森喜代男

取材協力/みくに龍翔館 福井県三国町

 

 

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